オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」では、生徒はみな先生であり、先生も学び続ける生徒です。今日のゲストは元『AERA』編集長で、ジャーナリストの浜田敬子さんです。公式Twitterはこちら→ https://twitter.com/hamakoto

    私と浜田さんとの出会いを紹介し、キャリアを振り返るところからお話はスタート。1989年に朝日新聞社へ入社。新聞記者として各支局を渡り歩き、念願だったという「AERA」編集部に配属されました。そして、2014年に女性初のAERA編集長に就任。その後、50歳になる2017年に退職をしました。
    もともと朝日新聞を辞める気がなかった、という浜田さんがなぜ退職したのか?    リアルなお話を聴いていきます。そこには、『LIFE SHIFT ――100年時代の人生戦略』を書いたリンダ・グラットンの存在が大きかったそうです。キャリアを考え直す思考プロセスを明かしてくれます。
    また、朝日新聞退職の裏には、とある二人の反応も大きかったとのこと。広告を依頼にいった浜田さんへ、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが「浜田さん、この仕事やっていて、楽しい?」と尋ねたそう。また、小山薫堂さんにも同じことを言われたそうです。取材でお世話になった人たちとの関係を「お金」に換えていくことに申し訳ない気持ちが募った浜田さん。そうした出来事を経て、浜田さんは考えて大きな一歩を踏み出しました。朝日新聞を辞めて「Business Insider Japan」統括編集長に就任した浜田さんは、2020年末に退任して、フリーランスのジャーナリストになります。

    浜田さんの少女時代についても伺います。どんな子どもだったのでしょうか?    「先生から見たら扱いにくい生徒だったんじゃないか」と浜田さん。大人のやることに懐疑的な子だったそうです。小学校3年生のときに「先生よりも私は上手に授業が教えられると思うから、私にやらせて」と言ったそうですよ。笑    「いやだよねぇ、そんな子」と浜田さん。中学生の娘さんがいる浜田さんに、親子の会話も伺います。
    浜田さんは、なんで新聞社に入ったのでしょうか?    新聞記者になりたいと思ったのは、中学生のとき。変わった社会の先生と出会いました。全く教科書を使わずに、毎回膨大な文章を読まされ、レポートをひたすら書かされた・・・とのこと。テレビで見たり、新聞で読んだニュースの感想をレポートに書かされることもあったそう。そして何より、中学3年生のときは、期末テストの代わりに「卒業論文」があったそうです。なんと原稿用紙30枚!(400字×30枚=12000字)    歴史上の人物を一人選んで、その人物について書く、というお題だったそうです。浜田さんが選んだのは・・・・・・なんと「レーニン」!    浜田さんは市民革命に興味があった少女でした。親はすごく心配したようです。笑

    浜田さんが現在追っているテーマについても伺います。「ダイバーシティと経営」の関係、「若い世代」がどんな未来を見ているのかを探る「ミライノツクリテ」  の取材や、「新しい公」というテーマ・・・・・・と浜田さんの現在の関心を明かしてくれます。様々な記事は浜田さんの公式サイトで紹介されています→  https://www.hamakeiinfo.com/%E4%B8%BB%E3%81%AA%E5%AE%9F%E7%B8%BE

    今日のお題は浜田敬子さんより。
    あなたは、自分の人生を生きている実感はありますか?